2018年4月 慎とディズニー①
慎と慎母と私と私の主人の4人で、ディズニーリゾート。
2001年から14回目となる。
もちろん呼吸器になる前までは、毎年連れて行ってた。
今年は、酸素ボンベも装備しなきゃいけなくなったので、ますます、大掛かりな車椅子となる。
が、まあ、行きましょう。お慎ちゃんの生きがいだから。
新幹線は、多目的室を予約して、座席を倒しフルフラットにして、寝て行く。
今年は、もう、欲張って予定を入れたりせず、
チェックインのできる時間に出発する。
東京駅の地下のレンガ造りの通りを選んで係の方に丸の内側まで案内してもらう。
お慎ちゃん、この通りが大好き。
いつもおむかえに来てもらう介護タクシーさんに、乗せてもらい、駅から直接、ミラコスタへ。
目論見通り、早々にチェックインして、酸素が足らなくなりそうなので…と言って、部屋に入らせてもらう。
お部屋から、ラグーンのショーが見えるように、ベッドを動かす。
お慎ちゃん、すっかりディズニーシーに入園した気分。
とにかく、身体を休める。
ご飯入れたり、水分を注入したり…(お慎ちゃんは、胃ろうにしてる)
そして、夕方から、やっと行動開始。
ランドのエレクトリカルパレードを観るべくランドへ!
そして、恒例のルームサービスで晩御飯。
これで、1日目終了!
ちょっと慎のこと。
慎は、筋ジスで、人工呼吸器を付け寝たきり。
生まれた時から、発達が遅く、感情が出ない、股関節脱臼、歩くのは1歳6ヶ月になってからだつた。なぜか分からず、3歳の時にやっと筋ジスという診断がおりた。
小学校高学年くらいで、歩けなくなった。
どんどん坐位が取れなくなってきたが、支援学校を卒業して、元気に作業所に毎日通所していた。ご飯も口から食べていた。
作業所に入所した年の年末、食べていた肉が喉に詰まり、心肺停止になった。一時は回復したが、2〜3日後また、呼吸が止まった。
そこから、回復せず意識不明のまま、気管支切開をし人工呼吸器になった。
ドクターからな、もう意識は戻らない…と言われたが、2ヶ月経ったある日、意識が戻った。
意識がない時に、ずっと慎母と私とで、
「早く目覚めて、ディズニーに行こうよ!!」と囁き続けた。
その甲斐があったのか…?
目覚めたお慎ちゃん。
そして、転院。転院先が、お家に帰るために…
の大前提。慎母、カニューレの事、胃ろうの事、訪問看護士さんのこと、ヘルパーさんの事、移動介護風呂の事、お薬の事、着替えの事、作業所の事、…いっぱい勉強して、あの日から、半年、ついに、ついに在宅介護となったのです。
その年の11月、お慎ちゃんとの約束どおり、ディズニーに行くことにしたのです。
2001年11月!人工呼吸器を付けて広島空港から始めて、飛行機で出発しました。空港側も、人工呼吸器をつけた客は、初めて。なにかとトラブりながら、行ったのでした。
人工呼吸器になってから、17年。14回目のディズニーでした。